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「養蜂家への道」
「栄える会通信」平成2212月号別紙
 
(この体験発表は1010日の「やまと練成会」でなされたものです)
昇龍支部 亀井洋子

<入信の動機>
 ありがとうございます。私が生長の家にふれたのは、息子に障害があり、母が心配して地元の教化部に行き、先生より聖使命会員になるようにとのことでした。息子は歩くのは一人で大丈夫ですが、家族との会話は日常的によく使う言葉はわかっても、他人さまの場合はわかりにくいようでした。私がテレビや新聞を見て可愛相な場面があると涙を出していますと、この子はティッシュを渡してくれたり、涙をふいてくれる優しい子です。動物園や遊園地や水族館等に連れて行っても全然喜ばず、帰ろうとしています。お参りが好きで、外に出る時はいつしかお買いものとお参りになっていました。また、電車ではカバンから聖経を取り出し私にお読みなさいと言わんばかりに渡してくれました。
 主人は生長の家の本を読んだことも、話を聞きに行くこともありませんでしたが、私の行動に関しては何でも協力してくれていました。平成12年に交通事故を起して大丈夫と言っていましたが、夜眠れなくなり、納期に間に合うように頑張っていましたが、無理は続かず倒れました。亡くなってからは困らないようにしてくれていましたので、松井八重子先生のお世話でお墓を建て、小さいですが家も与えられ、借家にしています。入居して下さっている間は勿論、転居された後もその方々のご先祖様に聖経をあげさせて頂いています。転居される時は、生長の家の本を数冊お渡ししております。主人の亡くなった年、息子は施設に入所し、犬もいなくなり一度に一人の生活になりました。普通、一人の生活では寂しくなると思うのですが、何故か寂しいと思うことはありませんでした。そういう思いにならなかったのは、毎日することがありますし、神様のことをさせて頂いていたからではないでしょうか。

<我が家が道場に>
 長い間使っていた所が使えなくなり、狭い所ですが私の家が道場として生長の家の行事をすることになりました。栄える会の生駒での拠点がこのようにきまった日は、「大調和の神示」の日でした。以来、月次祭、誌友会、栄える会の例会をさせて頂いております。
 英霊さんのことですが、テレビで二回ほど硫黄島での状況を聞きました。ドラム缶の水が熱湯になり、口にするとただれてしまったということでした。その方が英霊さんにたくさん水をあげて下さいと涙ながらに話されました。以来、私は英霊さんのおかげと、田舎に帰りましても先ず英霊供養塔に行きまして、お供えし聖経を上げさせて頂いています。歩いている時にも、神様ありがとうございます、英霊様ありがとうございます、ご先祖様・お父さん・お母さん・夫様・子供達・孫達・流産児様・お世話になっている皆様、それぞれにありがとうございますと言って感謝しています。
 ご先祖様に聖経を上げている途中で、電話がかかり話をしていた時、換気扇がガタンと勝手に切れました。このことは御先祖様がチャンと聖経を聞いておられることを証明して下さったそうです。寝過してはいけない時、気にしていたら夢で主人が「おっかさん、時間だぞ」と起してくれたのです。以心伝心です。生命は生き通しということを思い知らされました。

<祈ればきっとよくなるという信念に感動>

 平成16年、あることで気持ちが沈んでいた時、宇治の長田忍先生より「ネットワーク宝蔵」の文が届けられました。その内容は親と一緒に練成を受けていた子どもさんがドアに指を挟まれ、爪が剥がれて大泣きされました。聖経をあげられたのですがおさまらなくて救急車を呼ばれたとのこと。この話を楠本加美野先生が聞かれてこう言われたそうです。「真夜中でも何故私を起さなかったのか、僕が祈ればきっと良くなるんだ」と。この先生の強い信念に長田先生は感動されたのです。この「信念」という言葉が私の胸にグット入りました。正月三ケ日は33卷の聖経をあげ、自衛隊の方がイラクへ派遣されたことを知り、写経用紙に毎日21行書き続けました。2年半後、無事帰国されたことを知り安堵し嬉しく思ったことでした。

<流産児さんを供養する>

 宇治で練成を受けていた時、楠本先生のご講話が耳に入りました。それは血の塊の話でした。それを聞いた時、ハッと17,8年前のことを思い出し、楠本先生にお聞きしたら間違いなく流産児さんとのことでした。私はその日を命日とし、すぐ「永代供養」させて頂きました。初めての供養祭に出席した際、息子が急に泣き出しびっくりしましたが、これはきっと流産児さんが喜んでくれているのだと思いました。この日、娘からの連絡で娘が事故を起こし、車の前部分はひどい状態だったけれど、不思議と双方共に無事だったことを知りました。流産児さんが自分のことを分かってもらいたい一心で、娘を家に2日間閉じこもらせて、私を宇治に導いてくれたのでした。この日、6月18日は私にとって忘れられない日となりました。

<病院に行くなら宇治へ行こう>

 今年の6月のことでした。下痢というより水便でした。2,3回は軽かったのですが、4回目の最後は鉄砲水でした。これはおかしい、普通ではない、そうだ病院に行くなら宇治へ行こうと思いまして、翌日行きました。その日は6月17日で何と谷口雅春先生の25年祭に参列できたのです。18,19日は幽斎殿での写経感謝行、流産児供養、末一稲荷神社の月次祭、英霊供養等をさせて頂きました。もし病院へ行っていましたら、変な病名を付けられ検査検査、そして薬ということになっていたと思います。最悪の場合は、手術だったかもわかりません。苦しむこと無く、その時何かが消え浄化されたのでした。おまけに、宇治での素晴らしい行事に参加でき、この上なく有り難い時間を過ごさせて頂きました。宇治へ行く前日にあのような状態にならせて頂いたのは、まことに意味あることでした。

<更に徳を積んで0地点へ>

 今世でご恩を返し、クセを修正できた所が0地点で、ここに到達した人は、そこから徳を積むことができるそうです。これからです。なるべく早く0地点に到達したいものです。考えて見ますと息子の送迎の合間から始まり、時間を有効に使おうとあちらこちらお掃除をさせて頂きました。献労は動く浄心行、お掃除は動く座禅と言います。いつの間にか、練成に匹敵する浄心行をさせて頂きました。
 時には弱気になることもありますが、善一元の世界、信念は不可能を可能にすることを胸に、これからも神様に喜んでいただけるように心したいと思います。
 ちなみに谷口恵美子先生のお誕生日に発表させて頂けて光栄です。ありがとうございます。




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